*マラソン最長記録!人生をかけた男~日本初マラソン発祥の地神戸~開港150周年編*

5月 19th, 2016

都会では、早朝や夜にジョギングをしている姿をよく見かけます。

スポーツは多様な種類がありますが、

走るランニングランニングランニングランニングランニングランニング

ということは、道具不要、自分の意思さへあれば

環境関係なく取り入れやすいスポーツではないでしょうか

マラソン走る人走る人走る人走る人走る人走る人走る人

神戸は日本初マラソンの都市!!

marathon02

遡ること107年の1909年(昭和42年)、湊川から淀川まで408人がマラソンに参加しました。

その後、2011年(平成23年)に第1回神戸マラソンがスタートし、

神戸市役所の前には記念碑【日本マラソン発祥の地】がたちました。

マラソンの父といえば、

【金栗 四三(かねぐり しそう)】です。

日本人初のオリンピック選手であり、

何度もオリンピックに出場しつつ

誰にも追い越せない。世界で最も遅いマラソンタイムの記録保持者です。

クラッカー自己ベストクラッカー:2時間32分45秒

あし自己ワーストあし:54年8カ月6日5時間32分20秒3

(日本人初オリンピック出場の第5回ストックホルムオリンピック記録)

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どういうことでしょう?自己ワーストが人生をかけたタイムになっております滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗

1912年(明治45年)ストックホルムオリンピックは大変でした。

40度という記録的な猛暑で、参加者の半分が途中棄権し、死者も出てしまうほどの環境でした。

金栗は、日本からスェーデンまで船と列車で20日かけて移動し、緯度も高くほぼ白夜であった為睡眠もとれず、食事面でも米がなく・・・・

かつ!

当日、オリンピック会場へ

金栗を迎えにくるはずの車が来ず、競技場まで走らなければいけませんでした。

・・・・・この時点でかなりショッキングニュースですチーン

からの40度の中での42.193キロメートルです。

もれなく日射病になり、意識朦朧と途中で倒れてしまい、

近くの民家で介抱されるのですが、気が付けば大会は既に終わっており、

諦めることを余儀なくされます。

オリンピックの記録では、【行方不明】と処理されました。

4年後のオリンピックは第一次世界大戦にて開催中止、更に4年後は16位、その次も途中棄権という結果に終わり、日本初のオリンピック出場選手は最後までメダルを持ち帰ることは出来ませんでした。

しかしながら、国内でのマラソン招致活動には力をいれ、第一人者となり

【マラソンの父】とも呼ばれるまでになります。

そうこうしていると、1967年オリンピック委員会から手紙が届きました。

ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典の準備中、ある選手が大会途中に【行方不明】になっていることに気づき連絡をとったのです。

彼はまだ、レース中だ!

ぜひこの記念式典で、ゴールさせてあげよう!!

かつてたどり着けなかった競技場内のゴールテープを切った瞬間、歓声が響き渡りました。

この記録が、54年8カ月6日5時間32分20秒3

自身が日本人初のオリンピック選手として出場したマラソンのスコアです。

76歳でした。

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神戸から少し離れてしまいましたが・・・

素敵なお話ですドキドキ

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